<読書・・・地産地消の経済学(三)・・・>

再度、男鹿の夕日です

<読書・・・地産地消の経済学(三)・・・>


9)地産地消は生産者と消費者を一体化するという。これは結構鋭い指摘である。

旧来、川上から、川下への流れというのは、その中間に流通業者が介在し、それが農産物を「商品化」し儲けの手段としてきた。不当表示や過剰包装や上げればきりがない。


地産地消は「産直」とは違って、生産者と消費者が直に結ばれるので、消費者のニーズが過剰包装や不当表示ではないということに気付かせる。


これは、本来、農協と生協が取り組まなければならない課題であるが、どちらも「儲け主義」となったため、生産者と消費者を一体化といった課題はなおざりにされてきた。農協と生協は猛省が必要だと考えるしだいである。



10)「地産地消は地域主義である」という。そのとおりであるが、それが問題なのである。私のとらえ方でいえば「地域主義」とは、限られた地域、地方、田舎・・・と解釈する。


そうだとすると、大都市の消費は当然のことながら地産地消では消化できない。つまり、日本の食糧・・・ということになると、地産地消というのは理念としては立派であるが、現実的には「例外」に過ぎない。


日本の国民の何割が「地産地消」を実践できるというのか・・・・。地域を活性化するには役立つが、それは一部の地域に過ぎないということを理解するべきである


11)地産地消の地域概念の問題であるが、それが広くなればなるほど、企業の参入の余地が拡大する。本来の地産地消は「朝市」が原点である。

各地域に朝市があってそれが結構有名であるが、それがどうして広がらないのか・・・その原因を探り、この著者のように理念を一般化して「食の安心・安全」を追求するならば、農協や生協の役割、儲け主義でない運動としての役割が見えてくるはずである。


生産者や消費者に対して地産地消の一般化した理念を啓蒙するべき、いま一番重要な時期と考えるのは私だけであろうか。


12)この地産地消に対する地方行政の関わり方であるが、地産地消は朝市などの例外を除いては、当初、行政主導ではじまった。農業関連事業や地域活性化事業を消化する手段として始まり、成功したケースのノウハウを全国的に普及させた


 この行政主導は評価されてよい。しかし、これは地方の、農村の地域活性化を目指したもので、「食の安心・安全」を目的としたものではない。


以上、私流に「地産地消」をまな板に上げて評価した。結論から言えば、後出しジャンケンながら「理念」としてはすごくいい。しかし、その理念を理解している農家のおばちゃんたちはごくわずかで、かつ、「食の安心・安全」を追求する立場からは、それが「地域主義」であり、「流行」の域を脱し切れていない、と感ずる。

この「地産地消」に対する運動論や方法論はまだまだ未成熟で検討する余地はあると思うが、私にとってこの本がこのことを検討させるたたき台となったことは確かである。その本とは池本廣希著「地産池消の経済学」(新泉社)である。