秋田県JAの一本化を問う(2)

農家組合員間でもこの動きに積極的な対応は出ていない。ほとんどの組合員はJAがどうなろうと自分には関係ない、というスタンスではないかと思う。そのようにしたのはJAそのものだということを忘れては困る。なくてはならないJAなら、経営環境が赤字とかそれに類する場合になったとしたら農家の積極的な対応があるはずである。協同組合運動の原点は教育運動だといわれている。私が所属していたかつてのJAでは冬季の農閑期に大学の教授等を呼んで「農業講座」を20数年続けていた。今はそういうところはほとんどない。JAが潰れたら、農家が困るようなJAになることである。農家に必要とされるJAになることが「一本化」を考えるより先ではないか。
それからもう一つ。現在JAの常勤理事は、経営環境が悪化しているといいながら、自らの役員報酬は年収で1000万円近いと聞いている。その常勤理事というのは、ほとんどが年金収入で十分生活対応が出来る世代であると思われる。それに大鉈を入れること無しには組合員感情が良くなるはずがない。
 第三に、もっと広い視野、対政府(安倍内閣)との関係で見るならば、「一本化」ということは、全国中央会の監査指導権が廃止されたことやTPPをはじめとする農畜産物輸入自由化の方向性、それに反対する農協勢力を「守旧派」として見なし、また、財界も農林中金をはじめとした農協系統の資金力や日本生命と肩を並べる共済(保険)の契約高などに食い指を動かし、全農に対しても株式会社化を要求している。今後は准組合員の利用規制も大きな検討課題としている。農協という「協同組合」から、その機能の形骸化をはかり、規制を撤廃し、自由競争の世界に農協を放り込もうとする一連の流れを感じ取れる。政府が主導する「規制改革会議」の議論を見れば一目瞭然である。これに対抗するには、地域から農家から必要とされる農協となり、その存在意義をこれまで以上に高めることが肝要で、「一本化」して地域から遊離することではない。
 県内JAは様々な形で県外資本を中心とした系統外業者と競争している。資材、農薬、農機など価格的に見れば系統外業者に遅れを取っているケースも多々ある。それを補っているのが、地域に密着した営農指導等である。銀行や保険業者などの県外資本と対等に競争できるだけの力量があるのか。Aコープ(スーパーマーケット)はその競争に負けてほぼ撤退したといってよい。農機事業にしても危ないところに来ているといわれている。

今回の「一本化」は県内の経営者の農協経営に対する自信のなさの表れではないかと私は感じ取った。この新自由主義時代の資本主義の中でJAが生き残るということは、「一本化」するということでは断じてない。いかに地域から、農家組合員から必要とされる協同組合の理念にたったJAになるかである。