<読書・・・地産地消の経済学(二)・・・>

男鹿の海の神秘的な夕日です

<読書・・・地産地消の経済学(二)・・・>



なお、この項は、「地産池消費の経済学」、池本廣希著(新泉社)のP44からP51までに由った。

 1)「地産地消は農林業の基礎として生き生きとした地域の再生・自立のための前提条件である」という。生命産業としての農業を解体するということは私たちの生命の否定につながる、といっている。


 一般論としては間違いないが、財界や御用学者でも実質的には「農業を解体」を目指しながらも言葉としては「農業を解体」とは言っていない。もう少し突っ込んだ説明が欲しい。


 2)「地産地消は循環型社会の創造を目的とする運動である」としている。


今は、国を上げてリサイクルの時代である。川上から川下へと流れる食料はそれが土に返り、再生されて食料となる・・・このような循環を言っているのだと思うが、これは理念としては言われても、運動としてはなかなか成功していない。その原因にも立ち入るべきではないだろうか。理念を語るだけでは現場への説得力はない。


 3)地産地消は「食の安心安全」を担っているのだと言っている。どこの誰が作ったかわからない輸入食料に比べ、信頼関係が比べものにならないくらい高い。「顔の見える関係」最高だという。


 しかし、わたしに言わせれば地産地消は「食の安全・安心」を担保しているが、「食の安心安全」が地産地消でなければならないと言う理由はどこにもない


いま、商社は安い外国食料による「食の安心・安全」商品の開発にしのぎを削っているという。有機農産物は日本より、アメリカなどの外国の方が先進地だからである。日本の農業を守るための「食の安心・安全」でなければ意味がない。「安全、安心な外国農産物・・・」このような商品が出回るのはそう遠い将来ではないとおもうのだが・・・


 4)地産地消はいわゆる「フードマイレージ」(食料の量×食料の輸送距離)値を大きくするという。それが、温暖化にも貢献するという。それはその通りである。


だから、「直売所」の売りの「安さ」はその「フードマイレージ」に由来しているといってもよい。コストが掛らない分安く出来るということであろう。


 5)「工業」は環境に負荷をかけるが、「農業」は環境浄化をする。地産地消はその尖兵である。という。それはちょっと過大評価ではないか。


 「工業」側の立場で言わせてもらえれば環境に負荷を与えない「工業」だっていっぱいある。負荷を与えるかどうかは、「工業」だからじゃなくて、その経営者の理念の問題である。農業だってそのやり方しだいでは環境に負荷を与えている。


6)及び7) 地産地消は、スローフードスローライフ運動につながり私たちの生活スタイルを本来的なものに戻してくれる。」「本来的なもの」とはどういうものなのか、私にはわからないが、田舎生活がすべていいのだという風に聞こえる。


 スローフードスローライフ運動」は過酷な資本主義社会の働き方のアンチとして生まれたものであって、それを全面肯定するのは現実的ではない。

8)「地産地消」は「身土不二」の考え方が根底にあるということである。としているが、これは「後だしジャンケン」の様相で、後からつけた理屈に過ぎない。「身土不二」の思想により地産地消をはじめた人にお目にかかったことはない。

つづく