敗戦記(2)

街頭演説では、北羽の記事をメインに一般質問の回数を公表し、質問しない議員の議員報酬が税金の無駄遣いではないか、ということ。「町政を語る会」が「上から目線」で横暴なこと。自らの実績を成果として語る候補がほぼいないこと等々、10分弱の演説を繰り返した。多い日には10回、少ない日でも5回は街頭演説をした。その演説はすこぶる反応はよかった。予告をしない演説であるため、街頭に出てくる人が全くいない日もあったが、多いときは10数名の有権者が集まってくれた。そして、演説の後には必ず握手をするのだが、こんな話初めて聞いたという人がほとんどであった。
告示3日目の早朝、私の選挙事務所に一人の女性が訪れた。私の知らない人である。彼女は「昨日あなたの演説を聞いて、感銘したのであなたの事務所を訪れた」何と、鹿渡から男鹿市との郡境に当たる私の事務所へわざわざ来てくれたのである。「私はいつも同級生の候補に入れているのだが、今回はあなたに入れる」といって、20数分いろいろと話してくれた。私はうれしかった。私の演説がたとえ一人の人であっても感銘してくれるのであったら、候補者冥利である。また、私のちょっと離れたところで演説した候補がいた。私の演説を意識したらしく「今度は議会で質問します」と聴衆の前で演説したとのことである。確かに、連呼はするが演説をメインとし、且つ、政策ではなく議員の資質を問う選挙をする候補者はいただろうか

選挙戦は敗北である。新人としては、選対構成の立ち遅れが致命的である。それでも当初ボーダーラインといわれていた400票はクリアした。「選挙には負けたが、選挙はできた」と有力な幹部が言ってくれた。ほっとした。そして、「定数削減がなかったらあなたは当選だ。胸を張ってよい」とか「その412票には意味がある」といろんな人に言われた。慰めも若干あるだろう。「お前みたいな人間が議会には必要だ」ともかなりの多くの人から言われた。それから、「椎茸をやっている畠山さんだね」ともいわれた。椎茸で知名度がかなりあることもわかった。そんな意味で、今までにない「勉強」、そして私自身成長させてもらった。選対スタッフ、支援者には最大限の感謝をするしかない。

落選したのは全員新人である。最初の立候補表明から、今回は議会に入って、議会内で改革することは不可能になった。しかし、私みたいな候補が、当選ギリギリまで票を伸ばしたということは、悔しいことではあるが現状の議会にかなりのインパクトを与えた感じはある。「負け犬の遠吠え」といわれればその通りだが、改革は少数派から始まる。始まったばかりだ。有権者の議会に対する見方が変わるきっかけなりえたと思う。
議会内で出来なければ議会外でやるだけである。いささかも落ち込んではいない。今回の選挙戦でそういう仲間とも知り合えた。議会はほぼ現職で占められた。変わるかどうかは予断を許さないのであるのだが、これを注視することがこれからの私の大きな仕事になる。