<農協問題・・・・農協改革(3)・・・>


我々は、このような実態を農協改革の視点として提起していかなければならないと考える。いわゆる「組合員の満足度」とか「顧客の満足度」(CS)といわれるものである。信用事業や共済事業ではこのCSの研修を徹底的に追及されてきているが、他の部署ではなかなかなされていない。


単協の経営者レベルとなると「CS」という考え方自体理解できない役員がほとんどと聞く。昔は先輩方からこの考え方、「農協は組合員が満足してナンボなんだぞ」と徹底的に詰め込まれたものであるが、いまはその先輩との交流も少なくなったと聞く。何故、こんなことを言うかといえば、それは、安倍内閣や、財界がいかに農協を解体しようとしても、「主人公」である現場の組合員の支持があれば怖がることはないからである。この原点を踏み外せば、慌てふためかざるを得ない。


神田健策氏の話であるが、私は過去に何回か聞いている。今回も同じような話であったが、農協改革という視点できくと今回は物足りなかった。いつものように、相馬村農協のリンゴ生産や旧野辺地農協の小カブ生産の優良事例を引き合いに出して、農協が地域にインパクトについて語っていたのだが、それはそれとして、私は「どうしたら、そのようなことができるのですか」と質問した。


結果のことを話しても問題はどのような努力や経営手法でそうなったのか、それが一般化できるものなのかどうかについてどう考えているか聞きたかったからである。そうしたら答えは「その現場で、みんなで工夫してやるしかない」とのこと。がっかりした。


学者、研究者というものは現場を研究してそれから一般化できるものなどを現場に還元して指針を与えるという作業しなければならない。そうしなければ、研究のための研究となり、農業の再建には何ら必要のない代物となる。


相馬村農協や野辺地農協のような事例は、はっきり言って、農協という業界では例外の方に入る。ほとんどの農協はその事例は参考にはならない。つまり、一般化できない事例だということである。ついでに言うが、農業経済学者たちは、全国の様々な事例を研究しているが、それはほとんど優良事例であってその分析である。それはそれでいいとしても、その原因は何なのか、他の農協もどうしたらそのようなことができるのか。経営者が優秀なのか、職員が優秀なのか、自然条件がいいのかそれらを明らかにしないと、農協全体のレベルアップにはつながらない。


また、逆にうまくいかない事例を研究してなぜうまくいかないのかその原因を明らかにするという手法は明らかにするということも必要なのではないかと思う。要するに農協を「よいしょ」するだけではなくて「悪者になる」研究も必要なのではないかということである。

写真は9/7のJA祭りでの乾ししいたけのつかみ取りコーナーです