秋田やまもと農協役員選考顛末記(二)

 I氏は私が到着する前にすでにチビチビとやっていた。「待ち切れなかったん
だ。あれからすぐに電話したんだが、また、全然出なくて、帰りに二人でどこかでやろうかと思っていたのだが、連絡が取れない。仕方がなくて帰ってきた。あなたもそうだと思うが私もあの場で決まるとは思ってもいなかった。もう何回か選考会をやってから決まるもんだとばかり思っていた・・・。それでも当選したんだ。なにはともあれ当選したんだから乾杯しなくちゃ・・・・」と彼が飲んでいたワインで乾杯した。

 八竜地区の選考委員会は23名で、定員は3名。鵜川地区から1名、浜口地区から2名は暗黙(?)の了解だということ。当日は最初、その選考方法でもめた。記名投票にするか無記名の推薦制にするかでまずは投票したとのこと。(「無記名の推薦制」というのは、議論して3名を満場一致で確定すること)次に定員が3名なので三名連記制にするか、単記制にするかでもめて、その結果、単記制の記名投票に決定。それで、選考委員が推薦者を上げて投票に移った。結果はAさん8票、Bさん7票、Cさん4票、私が2票、Dさん1票、Eさん1票となり、上位3名が当選ということになった。ところが、係りが、その3名について推薦を受けるか電話で確認したところAさん、Bさんは受諾したが、Cさんは拒否した。そこで4番目の私にまわってきて、サウナ室の状況が生じたわけである。いわば補欠当選か繰り上げ当選といったところ。それでも当選には間違いない。本人に確認もしないで推薦するということ自体おかしなことであるが、このことは追って報告するとするが、「選任制」という選考自体が民主的ではない。

 そして、ワインを飲みながら選考過程の話をしたが、選考委員間で私に対する批判もいろいろ出たようである。一番の問題点は、原木椎茸を農協に全く出荷していない、ということのようである。
この問題は後々も誤解を招いたり、揚げ足を取られたりすることに繋がるのだが、私にとっては出荷する理由がないのである。私は自分の販売力と営業力で直売所とかスーパーで売っているので農協の販売力を借りる必要がない。「6次化産業」を地でいっているという人もいる。人と同じようなことをしていては、この販売競争時代に生き抜いてはいけない人ができないことをやることによって、自らの存在意義を示さなければならない。
それは私が椎茸栽培を始める時点でのコンセプトである。菌床椎茸と差別化するためには、菌床椎茸を同じような売り方をしていては、単価差で完全に負けてしまう。私の椎茸は菌床のそれの二倍もするのだから・・・。負けないようにするためにはどうするかということが、私の大きな課題であった。原木生産者はこれができないために、採算割れを起こし、生椎茸生産者は撤退せざるを得なくなった。残っているのは唯一乾椎茸生産者だけである。それもわずか・・・。