<椎茸作業・・・「椎茸祭り」騒動記(一)・・・>

椎茸もぎ取り体験の様子

<椎茸作業・・・「椎茸祭り」騒動記(一)・・・>


 今年も椎茸祭りを開催した。この椎茸祭りは、私の松林のホダ場で、もぎ取り体験とそのバーべキューをセットにしたイベントである。県内では初めてじゃないかと思っている


そもそも原木椎茸のホダ場は山中など傾斜が相当あるところにあるのが一般的である。だから、平地で軽トラが入れるようなホダ場というのは珍しいのである。また、砂地であるから雨降っていってもぬからないというメリットもある。その条件を生かしての椎茸祭りなのである。


 ところが、この椎茸祭りは一人ではできない。家族の協力が絶対不可欠なのである。これが最も難しい。


父や母は「そんな人目わるいことはいやだ」という。妻は「そんなイベントしたって何になるの・・・」というスタンス。ニートの娘は、「人がいっぱい来るところはいや」と来る。


会社だったら、トップダウンで決まるのだが、家族となるとそうはいかない。「おだてて、すかして、なだめて・・・・」手間暇のかかるがやるしかない。


 この企画は三月段階で日程をはじめとして作らなければならない。私の戦略として、やらなければならないような雰囲気を家庭内に作ることから始めることにした。


まず、椎茸祭りの案内のチラシを作って、居間に張って置いた。みな、見ないふりをする。「関係ないよ」という仕草である。


次には、友人に電話なんかで椎茸祭りをいやることを家族の前で大声で話したり・・・・ABSのラジオに出演して(二月にアップした)その旨を知らしめたり・・・・そうすると、「ラジオで聞いたよ」などと親戚連中からも電話が入ってくる。そうすれば、もう止めることはできなくなってします。無関心でいられなくなってしまう。

 一番協力してほしいのは妻だった。妻のことはこのブログではほとんど触れていないが、会社員である。土、日曜日も結構仕事が入る。彼女を「味方」に引き入れるのは簡単ではない。


今回で正式には二回目となるのだが、友人たちとのバーベキューは一〇年も続いているのに一度も顔を見せたことのない「ツワモノ」なのである。昨年もちょっと顔を出しただけですぐ帰った。


それでも、「ああしたらよかったのに、こうしたらよかったのに・・・・」と女の「イヤミ」を散々はいた。「混畜生」とは思うのだが、そこは押さえなければならない。


 今年は、私の販売戦略の説明やその中で何故「椎茸祭り」が必要なのか、を「やさしく」説明したためか、真っ向から反対の声は出なかった。そんな雰囲気をみて、彼女が入っている女性の会があって、そこにも呼び掛けたらとさりげなく要求した。


この会というのが相当のパワーをもったおばちゃんたちの集まりなので、その協力を得られれば「100人力」なのである。しかし、彼女は最後まで会には呼び掛けなかった。


ところが、私のラジオ出演を聞いて、その会のメンバーから電話が来た。等々隠しきれなくなった。それも、祭りの前日である。前日の通知だというのに、当日は7〜8名も集まったのである。何というパワー。(続く)