農業問題・・・公開講座「地域再生システム論」(三)

八幡平ふけの湯温泉の見事な紅葉です

<農業問題・・・公開講座地域再生システム論」(三)『自給率ということ』・・・>


 二回目の公開講座は、いわゆる「市場原理指向派」の研究者と「地域農業指向派」研究者の対論という形をとった。


この「市場原理指向派」と「地域農業指向派」とは私が勝手につけた名前である。前者神門善久氏、後者は長濱健一郎氏である。神門氏については08年1月の私のブログで氏の著書を評している。対論の中でちょっとしたトラブルはあったが、彼が言いたいことは明確にはなっていなかった。


そして又、彼の主張は現場とはかけ離れた空論としか思えなかった。今回はこのことを取り上げるのが目的ではないので、省略する。私は、長濱氏の報告が私の問題意識と非常に近かったので、このことについて検討してみたい。彼は秋田県立大学の教授である。


最初に食料の自給率についてである。自給率とは、「国民一人一日あたり国産熱量」を「国民一人一日あたり供給熱量」で割った数字である


前者が1029キロカロリーで後者が2558キロカロリーがから、40.2%となる。つまり、分母の供給熱量が、我々が食する量が多くなれば、自給率は小さくなるし、また、ダイエットなどして、減れば自給率が高くなるということである。また、分子の「国産熱量」については豊作、不作というのも影響する可能性がある。故に、単に40%という数字だけが一人歩きするのは危険だということである。


次に、我々が40%という自給率は、カロリー(熱量)ベースでの計算であって、生産額での自給率(66%)や穀物自給率(28%)などがあってそれを総合的に見なければならないとのことである。野菜や果実などは手間隙がかかり、カロリーが低いことから、生産量の割には自給率の数字には反映されにくいということもあるからである。


しかし、氏は何のために自給率向上が必要なのかは言及しなかった。確かに「国家は国民に安定的に食料を供給する体制を作り上げる責務がある」と入っているが、「自給」とは行っていない。


自給率の向上は常識である」といわんばかりであったが、その本質は突いてはいない。


自給の本質」を追及すれば「食料の安全保障」とか「食料主権」という課題が、政治が絡む問題となるため、避けたのだろうか。「自給率の向上は常識である」とは言わなかったが、もしこのような考えだったら、研究者としての態度ではない。


いづれにしても氏は、自給率を向上しなければならないことを前提として話をしていた。テーマが「自給率向上は政策結果なのか、政策目標なのか」なので致し方ないといえばそれまでであるが・・・。


そして、自給率というのはそれぞれ品目別に設定されている

2005年の政府統計では米は95%、畜産物は17%(飼料も自給率換算)、油脂類3%、小麦14%、大豆24%となっている。つまり、米だけがほぼ自給していて、他はこの通り、みじめな自給率だということである。


この米が減反を30%以上していながら、95%なのであるから、水田を全部稲作にしたなら、それだけで150%を超え、全体の自給率という数字だけは大きくなるが、「いびつな自給率となるのである。


減反及び転作の意義はここにあるのである。自給の面積を超えた分は、自給率の低い作物を作付けして、米以外の自給率を伸ばすということなのである。「いびつな自給率を是正する」ことなのである。


 このことを理解しないで、単に「減反反対」では「反対のための反対になってしまう。「減反」や「転作」はあくまで自給率を上げるため、国民の食料を確保するための「減反」や「転作」であることを理解しなければならない。(つづく)