<農業問題・・・消費者から見た食と農(二)・・・>

ミヤマキンバイです


前回の続きです。

<コメつくりと農政、食料主権について>


 このような状況の中で話を進めます。米の生産費をめぐる状況です。お手元の資料を見てください。私の米も生産費です。私も農協に勤めながら約2ヘクタールの田んぼを経営しています。

 収入が206万円、支出が191万円、差額が15万円です。稲作は10アール当たりおおよそ30時間かかるといわれていますので、時給換算すると263円です。どう思いますか。


 兼業農家はこれでもいいんです。私の場合もほとんどが朝晩土日の仕事ですから。コストという感覚は無いんです。ちょっとした運動とみてもいいんです。しかし、専業農家になるとこうはいきません。みなコストに入ってくるんです。大きくなればなるほどコストになるんです。



 増してや会社や企業となると経費削減のためコストを下げようとする。ここに来ている兼業農家の皆さんは実際に年何回田んぼの草刈をしますか。私は3回ですけど、篤農家で4回、手を抜けば2回といったところじゃないでしょうか。


 兼業農家でその草刈をコストと思っている人はほとんどいないでしょう。健康のためいい汗をかいた、程度でしょう。しかし、規模が大きくなりそれが人手、労賃の対象となると皆コストです。こんなこと主張している人は全国的に見てもあまりいないでしょう。これは現場の感覚だからです。現場で実際に携わっていればこのような感覚がでてくるんです。


 次に農政の現状ですが、食料自給率がカロリーベースで40%を割っています。問題は40%を割ったらどうしていけないかということなんです。40%という数字にばっかり目がいって、その本質がマスコミでは取り上げられていない現状があります。


 極端に言えば、自らの食べる食料のうち40%しか安全、安心が担保されないということなんです。皆さんはスーパーに行って「国産」と「中国産」の農産物が同じ価格だったらどっちを選びますか。当然国産を選ぶでしょう。ちょっと高くても国産を選ぶんじゃないですか。


 それはどうしてかというと、国産のほうが安全安心が担保されているからです。外国の農産物でも安全なものがある、という人もいるでしょう。確かに安全なものもあるでしょう。しかし、私たちは農産物の「生産」という過程で私たちの主権がその効力を発揮できる、確認できるのは40%なんです。


 もっとわかりやすく言えば、安全という「保証書」を発行できるのが40%だということなんです。極論を言えば、60%は安心安全に不安があるということなんです。そして、国民の食料、健康に責任を持たない農政、食料政策があるということなんです。


 ここに日本消費者連盟が発行している「消費者リポート」があります。その今年の新年号にこういうことが書いてあります。「この地球に生きるすべての人々にとって、命はぐくむ食糧を質、量とも自給することは基本的人権である食料のあるべき姿は安全と安定である。」


 つまり、食料を自給することは基本的人権である、といっています。日本の消費者運動の中心的存在である、日本消費者連盟がこんな言い方をしているのです。それからすれば、私たち生産者はその基本的人権を担っていることになるのです。 


 こういうことから「食料主権」という考え方から生まれてくるのです。この言葉はあまり聴いたことが無い言葉だと思います。逆に「食糧安全保障」という言葉はよく聞くでしょう。どこが違うんでしょうか。


 政府と自民党はこの「食糧安全保障」という言葉をよく使いますが、この言葉には「外国やどこからでも良いから食糧を確保できればいい。安全だ安心だということは二の次だ・・・」というニュアンスがあります。しかし、「食料主権」の言葉は国民自らが自らの食糧について安全安心も含めて選ぶ権利がある、ということです。食糧は自由貿易にしてはならない、ということなのです。


 食糧を自由貿易にすればどんなことになるでしょうか。ミニマムアクセス米(MA米)ってわかりますか。昨年カビの発生で問題になった「事故米」が食用に横流しされて問題になった米です。それは日本が米の輸入を制限する代償として、輸入を強制している米のことです。


 ガットウルグアイラウンドでの取り決めなんですけど、この協定では本当は「輸入義務」ではないんです。農水省は「義務である」を主張していますけど、契約には「輸入機会を与える」となっているんです。輸入義務ではないのに政府がアメリカと「義務として輸入する」と約束してしまった。それが、先だって朝日新聞等で暴露されてしまった。そんなMA米によりどんなことが起こっているのかということです。


 ご存知のとおり、昨年から今年にかけて穀物の価格が世界的に高騰しました。フイリッピンは米を輸入している国です。貧しい国であり、世界でもっとも多く米を輸入している国です。そこで、日本は無理やりMA米を40万トン買わなければならない。そうすると米の値段は高くなったわけです。


 そうすると、フイリッピンの貧しい人たちはその米を買うことができなくなってしまったのです。日本は米余りなのに買わなくてもよい米を買っている。それによって世界に飢餓のきっかけを作り出しているのです。これが、食糧を自由貿易品目にした結果です。「食糧の安全保障」というのはこういうことなのです・


 自国の安全のみを考えればいいということに繋がってしまいます。今年は穀物が高騰しているんですが、アメリカは安いとうもろこしなどの穀物を食糧危機といわれるアフリカなどに安く盛んに輸出していました。それによってアフリカの貧しい国は自らでトウモロコシを作付けして作るよりもアメリカのそれを買ったほうが安上がりになる。


 そのため自国の食糧生産は高まらないという現象が起こっている。食糧危機から抜け出せなくなっているのです。飢餓から脱出できないようになっている。そういうシステムになっているのです。


 それが「食糧安保」の実態です。「食糧主権」というのはそうではなくて、自国の食糧についての生産及び貿易は自国に主権があるという姿勢なのです。ですからWTO自由貿易は認められない、「反WTO」ということになるのです。そういう意味で「食物は商品ではない」ということなのです


 具体的に言えば、食糧の貿易は国家管理にしなければならないということなのです。今は無いのですが、日本にこんなに水田や米が多くなったのは食糧管理法という法律があって、穀物を国家管理にしていたからです。現代に当てはめるとそぐわない面もあるのですが、そのおかげで、主食の自給はまかなわれたといっても言い過ぎではないでしょう。


 国が国民の食糧に責任を持ち管理したということなのです。その食糧に対する「安全安心料」が食管の赤字となったんです。その赤字なんて5000億程度です。今、小沢民主党が1兆円を出して農家の所得保障をするといっています。


 それに比べると安いもんですよ。国民全体に聞いてみてください。食糧自給率を80%くらいまで上げるために1兆円程度の税金の支出は多いか、少ないか・・・この食糧の自給が逼迫しているときにほとんどの国民は「しかない」というんじゃないでしょうか。


 話は前に戻りますが、このようにして食糧が国家管理から、市場原理の方向へどんどんと流れて行き、自らの食べるものの安全は自己責任で・・・という方向になってきた。市場原理ですので食糧は完全な商品となり儲けの道具となり、不当表示がまかりとおるようになった。だから、なお一層、消費者は「安全、安心」に興味を抱かざるを得なくなってきたのです。