<読書・・・「食べものは商品じゃない」(二)・・・>

十和田湖と奥入瀬渓流にいって来ました

<読書・・・「食べものは商品じゃない」(二)・・・>


第二の「農業は過保護ではないということ」です。これも前々から言っているわけですが、著者は食料の安全と安心のためには、「ある程度の負担は必要だ」また、「何を基準として過保護なのか」、といっています。外国では日本以上に保護されている現状には、過保護論者は目をつぶっているということです。


過保護であるかないかは、ものさしによって違いますが、仮にひとつのものさしとして、農民一人当たりの補助金で国際的な比較をすると、アメリカは日本の10倍の補助金を出しています。イギリスも日本の4倍です。・・・・日本の農業は過保護であるというような言い方はこれはためにするものではないか。」(49ページ)


食料自給率を30%まで下げた原因は何なのか、それを政治家たちは総括しようとしません。著者は「基本法農政が農業を解体させた」といっています。私はそれだけではないと思いますが、農業者として、胸を張って「保護されて当たり前だ」といいたいです。その根拠はいずれアップしますけれど・・・



第三に、農協の問題です。私はもう言い尽くしていますが、このような消費者運動を実践してこられた方が、農協を「本来の姿に戻れ」といっているのは珍しいです。それも相当のページをさいています。若干紹介します。


「農協というのは世界中に名の知れた組織で、お金はたっぷり持って海外旅行ではずいぶんお金を落としてくれる農協さん。結局政府の顔色ばかり、政府というよりも農林官僚の顔色ばかり見て暮らしておる。これは何かというと補助金が欲しいから、という間柄になってしまっているため、本当の農民のための組織になっていないというわけです。」(50ページ)


価格形成が流通業者に支配されている現状について「どうしたらなくなるか、それは結局、こういった立場におかれた生産者の共同体である農協が、・・・・抜本的に体質改善しなければならないということなんです。組合員のための農協にしなくてはいけない。」


今の巨大化した農協組織も、今のままだと、皆様は足元をすくわれてしまうでしょう。私は、本来ならば農林省のような役所はなくても、せっかくこれだけの組織づくりができた農協組織があるのだから、これをあるべき姿に戻せば、たいがいのことはできるんじゃないかと思うんです。」(128ページ)



このほかにも、同じようなことを何度も言及していて、私と同じような視点で見ている人もいるもんだなと、感心しました。要するに運動体としての農協というものを、批判だけじゃなくて、具体的にこのような運動をしなければならないといっているのです消費者運動という著者の現場感覚がこのように思わせているのでしょう。


先日、奥入瀬渓流に行ってきました。天気がよければ新緑は最高だと思われましたが、あいにくの曇天、しかし、蔦温泉に入ってきました。癒しには最高の温泉です