<椎茸作業・・・原木の調達(二)・・・>

4月に自然発生する「自然子」

<椎茸作業・・・原木の調達(二)・・・>


;">そんな疑心暗鬼のまま3名のうちの一名とあった。丸顔で背は低い。私の常識では会ったらまず名刺の交換となるのだが、自己紹介して早速山の現場に直行である。


名刺を交換する「隙」はなかった。4WDのワゴン車で林道を走ること30分くらい。どの辺かは見当がつかない。車を降りてから歩いて10分くらいか、「この雑木林だけど・・・」ナラの太い、いや大木といっても差し支えないような木々が生い茂っている。


「もっと早く切ったらホダ木には最高だったけど、需要が無くなって薪にしかならない・・・」「この木でもよかったら・・・」ということである。


 いいも悪いも無い。ここまで来てこれではだめだ、何て言えない。当初から木の問題ではなく数量をいかに確保するかが最大の課題だったからである。太い大木が悪いんじゃなくて、重たくてもてないから大木は敬遠されているのである。扱う人さえ重たくても大丈夫なら、太い木のほうがホダ木としての耐用年数もでるし、単価も相対的には安い。


 私はその重さはあまり気にしない。体がじょうぶということもあるし、自然なおいしい椎茸を生産するには太いほうが適していると考えているからである。無理して半ば強制的に成長させるより自然にその環境に合わせた生産のほうがいい茸が生産できると信じている。いわば「哲学」である。



 いろいろと木の説明や山の特徴、搬出の方法伐採の方法・・・・など横でしゃべっているが私にはチンプンカンプンである。ただ、この木を切って搬出するのは相当大変だ、ということは実感した・・・するしかなかった。


 前々から、原木はどこにも無い、といわれてきた。しかし、私はそうではないと信じてきた。親父の時代にあれだけの原木を確保してきて、今の時代にできないってことは無いはずである。山そのものがなくなってしまうはずが無い・・・・と。


 「山も木もあるけど切る人がいないんですよ。いわゆる山子がいないんですよ。それも林道も様々な規制があって造りづらくなってきた・・・」と。木を切って搬出するということは大変な重労働である。それは間違いない。


「ナラなどの雑木を切るより、今は営林署の杉の間伐作業のほうが手間になる。温暖化の関係で間伐の予算がいっぱい付いているのでそちらを優先してしまう。適期に伐採すればいいホダ木なんだけど・・・」


 どうやらこれが現状らしい。いる人がいない。重労働する人がいない。
 こんな話を山で、車の中で交わしながら何とか交渉成立と思った。しかし、契約書を交わすわけではない。「雪が降れば搬出は困難になるし、雪が溶けてからのは運搬も必要・・・・」つまり、木はあるがそれが私の手元に到着するかどうかは、天気しだい、ということにも通じる。


確かにそれはそうだけど、私が職場を辞めて取り掛かろうとする事業を天気のせいでキャンセルするわけには行かない。「退職」をキャンセルできるわけがない


 ものが来るまでは安心ができない。これが「山師」の世界か。私に言わせれば真に前近代的な世界。名刺交換も嫌がっているとしか思えない。そんなやつらを相手にして原木椎茸家業は進めなければならない。 相手にとって不足はない。