<ブログ雑記・・・送別会(一)・・・>

青森の西海岸から白神山地の望みました

<ブログ雑記・・・送別会(一)・・・>


 退職すれば送別会が行われる。サラリーマンの恒例の行事というべきか。私の退職についても例外ではない。今まで4回の送別会が行われた・・・。この回数は他の人が何回行われたは知る由も無いが、この回数は少ないとは言えない。他にもう一回予定されていると聞いている・・・・。


 私の経歴上、労組関係の送別会が多いがメインはやはり職場の仲間による送別会である。これはいささか形式的な面があるが、退職した身なので好きなことが言えるという立場であった。


 その送別会には30数名が集まった。私の31年間の勤務期間中合併が3回あった。それぞれ深い思い出がある。そして、一緒に仕事をした仲間がいた。その思いで深い仲間がほぼ集まってくれた。30数名という人数が多いか少ないかはわからないが、私としてしては感激である。 


私の挨拶は事前に考えていた。前の3回にも挨拶をしていたのでおおよその粗筋は考えていたが、対象が違うので何をメインにするかは違っていた。


 最初の職場では仕事を一生懸命したこと。その成果が今の農協にも引き継がれていること。次の合併農協では仕事が思うようにできて、楽しかったこと。そして最後の合併農協では仕事を思うようにさせてもらえず、労組活動に勢力をつぎ込んでその成果は全国的にも評価されたこと・・・今後は、原木椎茸の再興に取り掛かること。


そして最後に「退職する私よりも残る皆さんのほうが大変です。去るも地獄残るも地獄という言葉がありますが、ある同僚に、私は退職できるだけ幸せだ。退職したいけどできないでしがみ付くしか無い人がほとんどである、といわれた。“残るが地獄”が正直なところではないでしょうか。


 農協は農家にとっては無くてはならない組織です。しかし、そのことが忘れてしまっている、そうさせている現状があります。皆さんはそのことを肝に銘じて大変でしょうけど頑張って下さい・・・」


この様な趣旨で挨拶した。このことが言いたかったのである。


 そして、儀式の最初の挨拶は常務。団体交渉で散々やりあった相手である。しかし、彼とは31年間ほぼ同じ職場であった。だからお互いに気心は知っている。彼の挨拶は当然労組活動のおもいでであった。


 実は彼も労組の委員長を経験している。そのとき私が書記長であったときもあった。「彼の一途な労組活動には感心した」「団体交渉でいろいろやりあったが、いい思い出である」「気骨のある男であった。筋を曲げないでと押し通した」「彼の気骨からすれば、政治家に向いている・・・」等々、


 鳥肌が立つような誉め言葉である。当然といえば当然あるが、かれがこんなことを言うとは思ってもいなかった。