<ブログ雑記・・・退職(五)・・・>

男鹿の海岸の貝殻です

<ブログ雑記・・・退職(五)・・・>


先に「農業運動」という「街と里と山村のネットワーク」に創りが「夢」だと言及した。そのことに触れてみたい。


農協に勤めて31年。その間営農指導で直接部会関係や農政を担当した期間が一番長かった。当時は合併前で自分の思うような仕事が今から考えればできた。そして毎日が充実していた。減反ヤミ米、青刈り騒動で有名になった大潟村の隣の農協として農政の矛盾にも直面し、考えさせられてばっかりであった。


そんな中で、鍛えられ、日本の農業を守るためにはどうすべきかいろいろと考えてきた。結論から言えば、日本消費者連盟創始者である竹内直一氏がいった「食物は商品であってはならない」ということであった。


彼の本は数冊あるが話は聞いたことは無い。彼が「商品」ということをどれだけ理解していたかはわからないが、私が言う「商品」は資本主義社会での商品であって、マルクス資本論で分析した「商品」である。


私流の解釈をすれば、「食料は金儲けの手段にしてはならない」ということである。今の社会では「成功した」ということは金を儲けたということと同義語です。それでいいのかということです。金儲けの手段とするから安全安心を無視した表示がまかり通るのです。食料というのは生命の源なのです。それが金儲けの手段になる・・・・・


しかしながら、日本人の胃袋はいまや輸入品でほぼ占められています。金儲けの手段としての、「商品」としての食料で占められています。それでは安全安心は守られるでしょうか?・・・



外国から輸入するということは外国にしかない食料も確かにありますが、誤解を恐れずに言えば、基本的には国産食料よりもそっちの方が金儲けになるからです。国産食料は儲からないからです。そして、国産の食料を生産する農家がそれによって生活できないからです。再生産費が補償されないからです。


それは、今流行の市場原理主義の考えが規制緩和などと現実を無視した政治家によって政策化されているからです。この「恐慌」がその結果を暴露しましたが、WTOに見られるように無制限な自由貿易の流れを変えようとはしません。



では、どうしたら現場の声、日本の農家の声を運動として形成できるかということです。いわゆる「生産者と消費者の共生」です。この「共生」は農協でもスローガンとして全国規模で展開していますが、現場に来ればスローガン倒れといっても差し支えありません。


それに消費者側にとってもいわゆる「消費者エゴ」はまだまだ幅を利かせて、「消費者ニーズ」などという言葉で、生産者の現場を無視した要求を市場を通して行われています。それは流通ルートがあまりに複雑化したのと、「売るためにはなんでもする」という流通業者の姿勢に大きな問題があります。



ですから、生産者と消費者が直結したルートを作る必要があるのです。それも単なるルートではありません。自らが食べる食料が誰がどのようにして作っているのかいわゆる「情報公開」を伴っていなければなりません。その代り、その食料の生産費は補償するということです。値段の高い安いではなくて生産コストを消費者が保証するということなのです。