<今、職場では・・・LAの上期全県研修会にて・・・>

コスモスが咲き始めました

<今、職場では・・・LAの上期全県研修会にて・・・>


 20年度の上期を総括するLAの全県研修会。最初に挨拶に立ったのは、T副本部長。彼とは、農協に就職後すぐに共済係に配属されて以来の付き合いである。しかし、彼はLAになった私を覚えていないだろう。


 懐かしかった。当時彼は共済連の「保全指導課」という部署で事務指導全般に辣腕を振るっていた。そして、もう一人Y氏も彼とは同期で彼以上に辣腕を振るっていた。甲乙つけがたい人材で、将来の共済連を背負うものと思われていたが、T氏は現在副本部長。Y氏は役職定年により「ヒラ」である。



 私が共済係になった頃、二人して事務指導に来たことがある。終われば交流会。当時としてはそれが普通であった。T氏は酒は全く飲めない。Y氏は秋田弁でいう「ザル」である。いくら飲んでも顔も姿勢は変わらない。好対照な二人であったが、その後も好対照な道のりをたどる。


 先日、Yさんから職場に電話がきた。生命共済の診査の関係で面接士を共済連に依頼していた。その面接士として彼が来るという。彼は昨年まで部長であったが、役職定年のためそれを解かれて、今日は県北明日は県南と面接士として車を走らせているという。思いがけない再会だと私は思った。


 指定時刻の一時間前に彼は現れた。「久しぶり・・・」と挨拶と握手をし、昔話へと移っていった。最初の話は辞めろいわんばかりの役職定年の話。これは私から問いただした。かれは話したくないようであったが無理に口を割らせた・・・・。


部長であった彼は役職を失った上に、通常は特命的な業務を任されるわけであるがそうはならなかった。前述した面接士と小さな共済の引き受けを担当しているらしい。閑職といわれてもしかたない


面接士としては、時期が時期なだけに一日300キロも走る事もあるという。こんな閑職にまわされては通常は皆退職していくという。彼はどうしてか残っている。


 彼は、労組役員の経験もある。当時は農協4連で統一労組を形成して、その専従も1期か2期経験している。その後もしばらくは役員をしていた。その絡みで私との付き合いもあった。


数年前の不慮の事故で亡くなった農協労の専従だったKさんの件でも話は尽きなかった。お互いの将来、農協の行方・・・、一時間くらいでは語りきれない話ばかりである。


 この職では彼の経験や見識が活かされるはずはない。恐らく、労組経験があるから部長職の先には行けなかった、と私は勝手に想像した。それに比べて、T副本部長は労組経験は全くないと聞いていた。


研修会には、他にも労組の現役員、旧役員がたくさん参加していた。終了後の懇親会では盛んに杯を交わした。話が尽きなかった。酒もすすんだ。みんな仲間だった。