<今、職場では・・・JA職員の過労死・・・>

家の前に福寿草が咲き始めました。

<今、職場では・・・JA職員の過労死・・・>

 06年6月、みやぎ仙南農協の職員が過労死で亡くなった。JA職員の過労死なんて聞いたことがなかった。JA職員間でも話題にならなかったし、一番に問題視すべき農協労働組合の中でも大きな話題とはならなかった(少なくても私の所属する県の農協労では)。


こんな「大事件」がどうして話題にならないのか・・・すでに2年も経っている・・・・。


 過労死させた経営者の責任が最も重いことは間違いないが、それを防げなかった労働組合にも責任がないとは言えない。また、労働組合として経営者のその責任を追及しているとも思えない。

 以下、事実関係を河北新報(08年3月19日)より引用する。


 みやぎ仙南農協は98年に宮城県の県南地域の7農協が合併し、29歳の職員は高校卒業後、農協に入り営農部門を担当していた。06年6月は特産のソラマメの最盛期で新聞には一日に最大6時間の残業をさせ(た、となっているが、それは「公式見解」で土日出勤すれば6時間どころではないはず。)


 それで、この時期に147時間残業をさせていた、となっている。恐らく、147時間どころではないはず。同年6月30日になくなり、死因は脳心臓疾患とのこと。


 農協は経営が厳しく、月40時間の範囲で残業を認めていたとのこと。そのため、所属長レベルで40時間以内に収まるよう「調整」が行なわれていたようだ。この件で宮城県労働基準監督署は法人としての農協と常務理事ら3名の幹部職員を書類送検した。


 そして、亡くなった職員の両親は「あんなに黙々と残業していたのに上司も誰も一言も声をかけてくれなかったのが一番口惜しい」「うちの息子は一年中忙しかった」「稲作で忙しい春や秋は泊り込みで働くこともあった」「忙しくて仕事をやめたい、とこぼしていた」とのべ、農協側は過労死と認定されてから謝罪する態度を示したというが、両親は語気を荒めて経営陣の対応を求めた。


 以上が、新聞報道による要旨であるが、我々業界人としては、彼の働きザマは想像できると思う。まず、青果部門で一ヶ月間まるっきり休みがない、ということは珍しいことではない。


 これだけで、月70〜80時間の残業をしていることになる。カントリー関係は10月は200時間超えることもある。要するに、「泊り込み」である。


 つまり、誰でも過労死になる状況があるということである。「過労死と認定されてから、謝罪・・・」、もってのほかである。「農協の常識は社会の非常識」と言われる。過労死と認定されなかったら、謝罪はなかったと言うことか。


 それに、組合長は辞任の意向はない、と新聞では報じられている。労働組合はどうしているのか。職員が「殺されて」責任追及はしないのか。それとも出来ないのか。県農協労はどんな指導をしているのか。


 このことは宮城県では大きく報じられているが、秋田県ではほとんど報じられていない。経営者達もわかっていないかもしれない。我、県農協労の動きも非常に鈍い。

 ちなみに、みやぎ仙南農協では、2005年1月から07年11月までに「不祥事」が9件も起こっている。こんな農協であることも新聞では大きく報じられている。