<農業問題・・・・農協の存在意義 その二・・・・>

ウメバチソウです

<農業問題・・・・農協の存在意義 その二・・・・>


 しかしながら、1980年代からグローバル化によるコメの輸入自由化がすすみ、行政と農協は対立するようになった


そして、今日の戦後最大の農政改革といわれる「品目横断的経営安定対策」に至ったわけであるが、それは担い手による自立した農業経営者をつくるという「市場主体としての担い手経営が確立すれば、農政にとっては農協の下請け利用、そのための制度としての農協の必要性は基本的に失せる。『農協のあり方研報告』は、さんざんこき使った古女房への三行半である」と。



 そんな中で、農協にとってその存在意義を明らかにするために何が必要なのか。「農協はいまや自らが、政府にとってではなく、農家、地域住民にとって何なのかを明らかにしなければならぬ段階にさしかかった」と。


 これは、本当に鋭い指摘である。我々が現場で「職場を守るため・・・」とか「収益を上げて・・・」とか言っていることは、現実には限りなく「地域協同組合」としての農協の方向に向いていることになる。

その対象が「農業者」ではなく、「お客様」であることを考えれば株式会社と同じであるということになろう。


「地域協同組合化は地域協同組合化ではなく、株式会社化なのである。」「地域協同組合化は麗しい建前論と異なり、実態的には信用共済農協化であり、株式会社化でしかなかった。」


このような経過を考えれば、現在財界が叫んでいる「農協解体論」は建前は「職能協同組合」である農協を実態としてある「地域協同組合」に淘汰しようというものらしい。しかし、現実にはそう簡単には「地域協同組合」にはならない、農業者農村の現実がある。それはチョット長くなるが引用してみる。


「地域農業・経済の活性化自給率の向上、地産地消、食農教育、多面的機能の発揮、地域資源管理といった地域公共性にかかわるテーマを担ううえでは、生活協同組合一般に解消することは出来ず、農的要素が本質的に組み込まれていなければならない。」


つまり、地域を相手にするということは、地域のおける生産を無視することは出来ず、生産と消費を総合的に捕らえてこそ、「地域」というものの性格が見出され、それは、「地域協同組合」では補足出来ない側面であること。


とりわけ、「生産」という手法は画一的な手法ではなく、販売とかマーケッテングとか専門的な要素をはらんで地域の特色を発揮することなしには成功し得ないことなどが上げられる。


この論文は、我々現場の人間にとって、自らがなしている仕事が、実は農協を解体するがための、その方向を向いての仕事もあるということ。農協経営者が向いている方向もまた、その言葉とは裏腹に、限りなく財界の意向を汲みつつあることも理解できる。そのことを今の経営者たちには理解できているとは思えない

<了>