<読書・・・露の玉垣(乙川優三郎著)・・・>

hatakeyama10262007-09-29

<読書・・・露の玉垣乙川優三郎著)・・・>

 この本は、NHKのラジオで知った。俳優の児玉清さんの読書歴から推薦する本を紹介するラジオ番組である。児玉清さんが読書家であることは全然知らなかった。彼の紹介がこれまた絶妙で私の読書心をくすぐったのである。また、乙川優三郎という直木賞作家も知らなかった。


 この小説は、時代小説である。江戸末期、越後の新発田藩の家老職にあった溝口一族とその周辺の生活や事件を8回にわたって「家伝」を基にした事実を脚色したものである。


だから、通常の時代小説にある主人公を中心とした物語ではない。そこには、家老といえども藩財政が逼迫している小藩の実質は下級武士と何ら代わりのない生活を淡々と描いている。その淡々とした描写が、この作者が得意なのか、ぐっと迫るものがあるのである。



 新発田藩といえば、この小説でも言及しているように、今は新潟の福島潟周辺で、私の記憶よれば、福島潟の「干拓」と信濃川阿賀野川の洪水とその治水が大変で、また、氾濫原は肥沃で米も収穫も多かったと覚えている。



 河川の治水がために藩財政が苦しくなり、窮乏を強いられたののは、何も新発田藩だけのことではない。この時期、全国ほとんどの藩は、一部の譜代藩を除き商人への借金やお抱え藩士への今でいう賃金の遅配、欠配が日常であり下級武士からの不平不満が絶えなかった。


養子縁組や婚姻など武士の沽券にかかわる冠婚葬祭は、なかなか質素というわけには行かず、多産なこの当時の家族では、そのやりくりは現在の我々と遜色はない。


 その情景を絡めながらの、溝口半兵衛の家老としての采配とその困窮、そして、藩主への忠誠等々様々なジレンマを抱えながら生きる姿は、それを表現した作者の現代にも通じる思いは、ひとつの表現方法ととして感心させられる。直木賞作家に対してこんな言い方は、あまりにも無礼だとは知りながらも・・・。




 江戸幕府が、倒れたのも実は薩長の財政力に劣っていたため、当時と提携国であったフランスから大量の新型武器を購入できなかったのが原因であった薩長は当時の清やオランド(東インド会社)との交易から、莫大な利益を上げていたため、その財力と吉田松陰をはじめとする「改革思想」が結びついて、明治維新にいたった。



 このような背景での中で、越後の小藩での物語は、「たそがれ清兵衛」の山田洋次監督に映画化されたらどのように描くか・・・・作者の自然描写が絶妙な上、読みながらその情景が次々と浮びあがった。



下級武士の実態、哀愁が読み終えてからもしばらく残像として、消えることなく、久しぶりに満足した読後感を持たせてもらった