<農業問題・・・今年の仮渡金から見た農政〜「国のやり方は汚い」・

ハクサン

<農業問題・・・今年の仮渡金から見た農政〜「国のやり方は汚い」・・・>


 先日、JAからの通知が来た。平成18年産米最終精算通知である。18年産米は仮渡金が11,650円。それに今回の通知で全農から550円の追加精算。つまり、18年産米は12200円という結果になる。


 これでも高いとは思わないが、思ったよりも多い追加精算といえる。この間、全農秋田の不祥事にはじまり、全農の体質が世論にさらされた。それで、全農としてもいわゆる「販売対策費」を削って、その分を農家への追加精算にまわす・・・と言わざるを得なかった。その分が加味されているのかと・・・



 ところが、今年の仮渡金、もめるところとなった。なんと、全農が全国一律仮渡金として7000円という数字を出してきたのである。それに各県本部が独自加算で・・・ということになった。


これは、あまりに唐突であり、私達農家も戸惑った。60キロ当り、1万円を割るのは時間の問題だ、といわれていたが、そんなことはにわかには信じがたい、というのが本音であった。


 結果的には、秋田県の場合、全農中央の7000円に県本部で3000円をプラスしてあきたこまち1等米B」(平均的な米質)で1万円となった。それでも前年度比で1650円のマイナスである。


そのため、JAへの集荷が懸念されるとして、JA独自にそれに500円から1000円上乗せするところが出てきた。半数のJAが何らかの上乗せをするようだが、わがJAでは上乗せはない。


 果たして、これで米が集まるか、ということである。米が集まらなければ、組合長は自らの無策を省みることは無く職員の尻たたきに奔走する。この周辺は、青森の八戸ナンバーの「業者」が稲刈りと同時にうろつく。今、12500円で買いあさっているという。


また、秋の資材の精算にも影響するだろう。そうすると不良債権」もまた増える。職員の懐にも影響することになる。



 みんな転作に協力しているのに、どうして、こんなことになるのか・・・という率直な疑問がある。新聞報道によると、全国で年間需要量が844万トン。今年の生産予定量が880万トンを超えるとのこと。つまり、供給過剰だということである。その原因がいわゆる「過剰作付け」ということになる。



 先だって、経営者側から、19年から行なわれる「品目横断的経営安定対策」は担い手及び、集落営農組織でカバーする面積が、秋田県で47%。全国的に見れば30%にみたないという話だった。


つまり、カバーできない面積がそのまま「過剰作付け」の潜在的可能性があることになる。今年から、農協等の生産者団体が転作を主導することになった。今回の事態はその出鼻を挫かれたといわざるを得ない。



 全農は全農で「共同計算の収支上、農家への過払いが発生した場合、大きなリスクとなる」とわが身が大事・・・とこれも「農家からの逃亡」を図ろうとしている。


 まず、考えなければならないのが、どうしてこれほど「過剰作付け」が発生したかということである。何のことはない、転作のメリットがないからである


転作が原則的に農家の自由になってから、わずかな「転作奨励金」で30%を超える転作(減反)をすることの馬鹿馬鹿しさを農家がわかってきたこと。10%価格が安くても全部作付けしたほうが、収入が多いことは子供の計算でもわかる。


農協は「過剰作付け派」と「遵守派」の買入価格に差をつけているらしいが、民間の業者はそんなことはしない。


 また、農政が「米安」を誘導したようなふしがある。10年も前から、「遵守派」はまじめに国の減反政策を守っているんだから、それに対するメリットを与えろ、と言い続けてきたが、結局は「過剰作付け」農家よりは「損」を甘んじて受けてきた。まじめに守った農家が、馬鹿を見た・・・ということである。


ところが、米価が下がったことによって、米を作るよりは、減反して奨励金をもらったほうが「得」となってきた。この米価だったら、10aあたりの所得は、赤字か±0である。転作して、大豆を担い手に委託すれば、国からと担い手からで3〜4万円の助成金がくる。


それに、転作とも補償金を加えれば、5万円は超すことになろう。国のやり方は汚い、といわざるを得ない。米価を低めに誘導して、米の生産を抑制する。それで米の需給調整をする。そこには「主食の安定供給」という考えはなくなっている。



「遵守派」に対するメリットは、稲作をコスト割れにしたことにより、相対的に「転作奨励金」が突出するという再生産費無視のメリットでしかない。


その汚いやり方に私も来年乗ろうか、と考えている。瀬に腹は帰られないからである。これでは農家は滅ぶ・・・滅ぶ前にもらうべきものはもらった方が・・・と考えるのは私だけであろうか。