<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか5・・・>

ウメバチソウです

<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか5・・・>


次に農家組合員の反応である。判決からしばらくは、ある農家組合員に言わせれば「注目の的」だったとのことである。私は3/1付けでH営農センターの購買の窓口担当に異動になった。


合併する前は同じところで「課長補佐」をしていたのだから、一般の農家にしてみれば「降格」というふうに見える。そして、3/10の判決である。


「裁判に勝って降格」という印象が農家組合員に広がった。私と懇意にしているKさんは、窓口で大きな声で「裁判に勝った者が、こんな降格とも取れる処分されるのか」「組合長は頭がおかしいんではないか」「農協には常識があるのか」などと叫んだ。


 私としては、どんな反応をしてよいやら・・・ただうなづくだけであったが・・・。このほかにも「よかったね」と声をかけてくれる農家は少なくはなかった。


 このような、声が出てくるにはそれだけの背景もあった。当農協は5農協が合併したのだが、そのうちで最も農業生産が活発な地区で、メロンやアスパラは県内でもトップクラスの産地でもある。


 ところが常勤役員が3名いるが、当地区出身のそれがいなくて、支所の統廃合など誰もが見ても不利な扱いを受けていた。農家組合員からは、出身の理事が派閥をつくり一枚岩になれないから「常勤」が取れないんだと言われており、当時の執行部(常勤役員)に対しては相当な不満や批判が渦巻いていた。


 このようなことがあったものだから、その執行部とケンカして勝った私が「英雄視」されたのだと思う。


 しかしながら、購買窓口には、1ヶ月しかいなかった。判決が確定した後の理事会で、ある理事が、「裁判に負けたんだから、Hの処遇はどうするんだ・・・」と質問した。それにW常務が「現状復帰させる」と答え、4月1日付けで「H給油所」への現状復帰となった。私にすれば、「ありがた迷惑」といったところである。何しろ、通勤に50分もかかる。


 このH給油所にきてからも裁判のことは、いろいろ話しになったらしい。ある職員から聞いた話であるが、「経営者に立ち向かうなんて、骨のある職員もいるもんだ」と農家組合員が言っていた、ときいた。このH地区というのは農民組合が結構組織されている地域だからかもしれない。


 この判決から、1年3ヵ月後H組合長とW常務が任期で退任した。この判決が彼らの退任にどのような影響を与えたかは知る由もない。

 この一連の「秋田やまもと闘争」で150人いた労組員は、30名まで減った。そして、勝訴した後も労組員は増えていない。経営者側の「労組敵視」が依然として変わらないからである。(それに優る団結力がないことが一番の原因なのだが・・・)批判を受け付けない独善的な体質、W常務が作り出した体質に変化がないのである。職員はそれを敏感に感じ取っている。


 現在、中途退職する職員が後を断たない。その後釜は、不補充で仕事に追われた職員が職場を走り回っている。それでもなおかつ職員が多いと経営者は言う。


 同じ部署の非労組員で仕事が原因と思われる「うつ病」者が2名でた。明らかな労災であるが、彼らは労災の適用になったかは不明である。このように職員を犠牲にした形で経営は安定してきている。職員が減った分そのまま収益として試算表には表れている。


「秋田やまもと闘争」、裁判には勝った。残っている労組員の団結は固い。しかし、闘いに勝ったといえる自信はない。負けたとは思わないが「勝った」言える状況ではない
<了>