<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか4・・・>

タチキボウシです

<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか4・・・>

判決は、地元の新聞にも大きく扱われた。毎日新聞では「全国版」に載った。次の日に職場では数人から「よかったね」といわれた。しかし、それだけ。後は平々凡々と仕事をこなすだけ。


ちょうど3月1日は定期異動日。歓送会があっちこっちで行なわれた。また、退職者もいたので数回飲む機会があった。その飲み会の場が、飲んだ勢いで裁判の話でもちきりとなった。「よかった、よかった」として酒を注ぐに来る。見る間に数人の輪になって裁判の話。争点や証人尋問のこと。弁護士のこと。全国的な反響・・・・話せば長くなるが、酒の勢いで面白おかしく・・・その中のひとつ。



私が上司の指示も聞かない「不良職員」だということを裁判官に印象付けるために、彼が私にイロイロなことを指示して、それを全く実行しなかった、ということを指示の日時とその細目をメモして証拠として提出した。しかし、その中のある事項の指示日時が私が休んだ日に行なっていることが判明した。


要するに私がいないときに私に指示した(業務命令として)ことになっていた。全くの嘘っぱちだということを裁判官の前で明らかになった。今となっては、笑い話であるのだが・・・こんな話はこの上もない「酒の肴」となった。



また、一審でのW常務対する証人喚問。Y弁護士の鋭い追及が圧巻であった。私を低く査定した件や不当処分の経過について、いつもは強気の答弁、しかし法廷ではしどろもどろ・・・私もYの弁護士の隣で質問したりした・・・今考えてみると、よく質問したと思う。傍聴していた仲間も「痛快だった」といっていた。


皆、今の経営者をよく思ってはいない。そして、経営者を恐がっている。それに対し、真っ向から批判しそして裁判し、勝ったものだから・・・「全くの経営者寄り」と言われている職員からも「こんなことはお前でなければ出来ない」といわれた。褒められたのか、馬鹿にされたのか・・・



一般の職員に比べて、労組の仲間は祝福はすごかった。労組に入っていることだけで、みな肩身の狭い思いをしていた。「麻原(オーム真理教)みたいな奴に何故ついていくんだ。」とか、「人事で不利になるぞ」といわれ、実際に労組員が不公平な人事を受けていた。そのような日頃の不満が一気に爆発した。数回「祝勝会」が行なわれたが、大変な盛り上がり。特に控訴審で「逆転完全勝利」の味は格別・・・というしかない。



一審で敗訴はきつかった。農協労本部も私も労組の仲間にはこの裁判は負けるはずが無いと、再三再四言ってきた。それが完全敗訴したんだから、その落ち込みようといったら・・・。その判決後の反省会、みんなは勝訴だと確信して傍聴していたのが敗訴。


正直言って私もしばらくは頭の中が真っ白で呆然としていた。こんなもんなのかな・・・と。農協労関係者はなんとしても控訴しよう、と言うし他の仲間もこのままでは引き下がれない、という。私もやるしかない、とぼんやり思っていた。最初提訴したときも深井弁護士から「やるんだったら、最後まで・・・」と言われていたものだから、引き下がるわけには行かなかったのである



一審の敗北の反省会。酒が回るほど口惜しさがにじみ出てきた。そして、隣りで飲んでいたK君が「口惜しいだろう」「大変だろう」と言って突然抱きついてきた。涙をぼろぼろ流しながら・・・。私の目からも堰を切ってあふれ出した。声こそ出さなかったが、男同士、抱き合いながら大涙した。


今にして思えば、闘いというのはこんなもんだ、と言うことだろう。労組の仲間は、多かれ少なかれ、皆、こんな心情だったに違いない。こんな気持ちを共有できるなんて、幸せと言えば幸せなことである。


このような仲間がいて私も闘ってこられた。そして、自分で言うのもなんだが、ひとあたりが違ってきた。今まで以上に人の話を聞けるようになって来た。相手の立場で話を聞けるようになってきた。俗にいう腰が低くなった、と言うことか。成長させてもらった。<続く>