<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか3・・・>

8月のチングルマです

<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか3・・・>

 
Y弁護士は自由法曹団の秋田での役員をやっていて、お兄さんが共産党の県会議員。故に「共産党的」と思われがちであるが、いやいや羽目はずしが好きで、趣味はマージャンとカラオケいうから、ギャンブル魔と思いきしや、そこはさすが弁護士。


ジェントルマンである。弁護士としての弁舌は「業界」では有名。(しかし、この頃は法廷での弁舌はあまり重要視されなくなっている現実に本人はがっかりしている模様であるが・・・)稼ぎも県内の弁護士業界ではベストファイブに入ると自分でいっているくらいであるから相当なもであることには違いない。


中央大学で労働法を専攻して法曹界入りしたのだが、「労働問題での弁護が一割もない」「労働組合がもっと頑張らないと」と嘆いていた。先日の「新年会」でも一緒になり、「Hさんの裁判判例法曹界で全国的に結構注目されていた」といわれ、うれしくなってしまった。


 全農協労連(農協労の全国組織)でこの裁判を担当したのが、K法対部長、京都出身、色黒、顔の角ばった(失礼!)紳士。彼とは裁判前にも何回か会ってはいたが、一緒に酒を飲んだのは、この裁判がはじめて。


この3年間、新年会、忘年会、交流会・・・等々飲む機会は本当に多かった。私も好きではないが、付合いは好きなので、最後までは無理であるが、途中までならいつでもどこでも・・・という感じ。K氏は秋田の酒はうまいうまい、といいながら全然酔う様子は見えない。これを秋田では「ザル」という。まさにザルである。


 彼とは、裁判が終わってからもメールなどでいろいろ議論した。喧々諤々の議論もした。最近、彼からメールが来た。香川農協労で共済推進を査定項目にするという経営者に対し、私の判決を引き合いに出してそれを撤回させた、という内容だった。うれしかった。闘った成果が目に見えた。



また、私が、「家族対策」を要求したことについても、恐らく彼がN委員長(当時の全農協労連本部委員長)との会談を段取りしてくれたと思う。この家族対策というのも農協労にとっても、全農協労連にとても「未知の分野」であったろうが、このような裁判闘争では「家族対策」が不可欠であるということは、大手労組ではマニュアル化されているが、我農協労では、残念ながらそこまで入っていない。



 「家族対策」のついでといっては語弊があるが、当然ながら、この裁判には私の家族は猛反対であった。「何故、あなただけが犠牲になってやらなければならないのか」という論理である。


田舎社会で「お上」に逆らうことがどういうことかは、誰もが知っている。「お前の息子が・・・」などということは家族にとっては耐えられないこと。それに対し、「男は、筋を通すため、損得勘定抜きでやらなければならないことがある。」と突っ張ってきた


職場の差別のこと、不当労働行為のこと、私の力不足のためか説明してもわかってもらえる可能性はほとんどなかった。妻からは「裁判してそのおかげで子供がいじめられたらどうする・・・・」といわれた。これが一番堪えた。しかし、長いものに巻かれていいわけがない。このジレンマは頭の中でずっと引きずっていた。


ゆえに、裁判を始める前から、家族と私の間では険悪な雰囲気で、この件についての会話はタブーとなっていた。そんなこともあって、家族対策として、本部からと支部から「家族に説明する」という名目で我が家にきた。


見ず知らずの輩がこの「タブー」を説明しに来るのだから、歓迎するはずがない。結果から言えば、玄関先でシャットアウト。うちには上がれずじまい・・・。


この話は、後日のいい「酒の肴」になるわけだが、根回しもなく、突如・・・あまりに「芸」がなさ過ぎた・・・というより、そのノウハウがなかったというべきであろう。ゆえに「未知の分野」だったのである。


その経験から、中央本部からのオルグでは、根回しを本部に任せておけず、私も結構動いた。口を開けば口論になるというような状況でも動かざるを得なかった。結果は家に上がりこんで30分近く父とN委員長は話しこんだ。話の内容は忘れたが、スムーズな話ではなかったように記憶している。<続く>