<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか1・・・>

秋田駒、馬の背から女岳展望


私の裁判については、先月のブログでアップした。それから、3年経ったが、その後何が変わったか・・・「何も変わらなかった」といっても過言ではない。それは極端だという人もいるが、現場の私には実感出来ないのである。それで、この報告を作成した。これから、5〜6回続き飽きると思うが、付き合っていただきたい


<労組活動・・・あれから3年、「勝訴」は何を意味したか1・・・>

 平成16年3月10日午後1時15分、仙台高裁秋田支部。「原判決を変更する」という裁判長の簡単な読み上げで「勝訴」が決まった。私には実感が感じられない「歴史的瞬間」であった。今でこそ裁判では勝ったということになったが、実感がわかないどころか、負けたんじゃないかと思うくらいである。



 広域合併してから早8年。その間10回の異動。この年で本店の「受付」も1年やった。一番長い職が「LA」で2年、1ヶ月という職場もあった・・・。現在もその流れは続いている。あれから、3年になろうとしている。様々な感慨が浮かんでくる。その後の状況を報告したい。


 最初に、農協経営者の態度。04年3/10の判決。上告する場合、これから2週間以内。わが仲間の中でも意見が分かれた。「経営者は必ず上告する」という意見と「上告しても勝てないからしない」という意見。経営者は、臨時の理事会開催前に、判決書や証拠書類を全中の外郭団体である「農協労働問題研究所」に送付し、判断を仰いだらしい。

 そしてW常務が上京して検討したとか。その検討結果が、後日ある理事から聞いた話では「勝訴は難しい」ということだったとか・・・。そして、臨時の理事会でも「(上告して)勝つ見込みがあるならやってもいいが、負けるんだったら止めろ・・・」という意見が大勢を占めたときいた。


 理事の中にも町会議員経験者がいて、選挙違反で裁判をやって失職した議員を見ている。最高裁は、事実審理はしなくて「判例違反」や「憲法違反」事例しか審査しない、ということも話題になったとか。



 判決が出て、新聞に組合長談話としては、「上告するかどうかは十分検討して・・・」というニュアンスであったが、あの人の性格からすれば上告したかったというのが本音であろうと思う。


 後日の話では理事会でも「執行部一任」を取り付けて上告しようとしたようである。しかし、ある有力理事から「負ける戦はするな」と釘を打たれたらしい。これが決定的だった、といわれた。


 それで、上告はしないことについての新聞記事でも「勝てる見込みがない」ではなく、「これ以上争うことは職員全体に対しても好ましくはないと判断した」という意味合いのコメントだった。


 このような形で上告は断念され勝訴は確定した。これによってH組合長とW常務のメンツは潰された。「理事会での大言壮語も威力が半減した」(ある理事の話)「連合会の会議でも結構話題になった。」「全国的に影響したので県の中央会等に結構問い合わせがあってこまった」(県中職員の話)農協の利益よりも自らのメンツを優先する彼らにとっては「結構な痛手」だったのでは・・・。<つづく>