<労組活動・・・私の裁判闘争2・・・>

国道101号線の海岸です

前々回からの続きです。


<労組活動・・・私の裁判闘争2・・・>

家族にもまた迷惑をかけました。田舎の狭い地域社会で、裁判などと「偉い」ひとに刃向かうなんてもってのほか、という空気の中で、両親からは「お前だけどうしてこんなことをしなければならないのだ」と再三、再四言われ泣かれました。


 妻からも「子供が裁判することにより、イジメにあったらどうするの・・・」と言われるし、家庭内も一時は崩壊寸前のところまで行きました。


 農協を辞めることも何回となく考えました。男として銭金で計ることのできない「筋」がある。「筋」を通さなければ人間としての価値は何処にあるのか、と自分に思い聞かせてきましたが、その思いを最も留めたのは「あなたが辞めれば、一番喜ぶのは、誰でもない経営者だ」というある執行委員の言葉でした。



 私が辞めることにより、彼らが微笑む・・・そんなことは許せませんでした。絶対許せませんでした。それは、何故こんなにしてまで闘ってきたのか、その意義が問われることですから。

 
 そのような経過の中での判決の日でした。勝訴の結果は妻に最初に報告しました。そして「良かったね」と言ってくれ、それからは支援してくれた仲間に次々と連絡しました。


 そして、次の日は新聞に結構大きく載りました。親しい職場の仲間は「おめでとう」と言ってくれますが、職場ではいまだ持って労働組合や裁判の話はタブーです。少ない労組員同士も労組の話をするときは隠れて目立たないようにする始末です。



 しかし、農家組合員は違っていました。堂々と大きな声で私がびっくりするほど「畠山クン、おめでとう」「経営者がどんな顔するか見たいよ」などと言ってのけました。私の所属する八竜支店は、農業では農協管内で最も先進的な地区ですが、常勤理事が出ていないため、人員配置や施設の利用の面では不利益扱いされている、と言われているので、経営の執行部に対しての不満はすごいものがあったのです。そういうこともあって、反響が大きいのでしょう。



 経営者は、勝ち目がなさそうだからと上告を断念しました。理事会が判決の内容を十分に検討して断念したのでは残念ながらありません。ただ、最高裁で勝てるのかどうかで、判断したようです。そのため、私にとっては実感として「うれしさ」は伴いませんでした。



 激減した労組員、ますます差別的な「成果給」などを導入しようとする経営者。職場は何一つかわりませんし、労働条件は悪くなっていくばかりです。そして経営者も反省どころか、金さえ払えばいいんだろう。「お前だけ得したな」とうそぶく始末です。このような経営者を私たちはどのように正していけばいいのでしょうか。


4月9日に秋田やまもと支部で「総括集会」を開催しました。一人一人の発言は、私たちの正しさを自信と確信を持った言葉であふれていました。私にとっては意外でした。仲間が本当に喜んでいるんだな、と実感しました。今まで経営者の言いなりに、そしてやりたい放題やられっぱなしの思いがこの勝利を呼んだんだなと――。(そして、この場には、新たに労組へ加入の意思表示をした職員も参加したことを付け加えます。)


 総括集会では、本部の仲村さんから「勝訴判決の意義」がとくとくと語られ、私からは今後どうやって運動や闘いを作っていくか、問題提起しました。経営者のアキレス腱は「36協定」だとわかりました。


 違法な時間外労働を査定することはその制度そのものが無効になるのですから、その「36協定」の締結権を獲得すれば、農協職員に最も嫌がられている事業推進に一定の歯止めをかけることが出来るようになるのです。人数が減っても残った労組員で獲得したこの判決は「宝」ですのでこれを活かさない手はありません。飾っておくだけでは何の意味もないのです。


 私は、4月1日付けで通勤に40分もかかるところへ嫌がらせの異動辞令を受けました。経営者のスタンスは変わらない、と言う意思表示なのでしょう。これからも闘いは続くと思います。また、ご支援をお願いする場合があるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします。

<了>平成16年5月記