<労組活動・・・農業・農協問題研究所現地検討会2 ・・・>

いい写真と思いませんか秋田駒のミヤマ

<労組活動・・・農業・農協問題研究所現地検討会2・・・>

 
次に報告したのが、我農協の「スーパースター」(?)の泉牧子課長。前にも「JAンビニ」でアップしたが、彼女がそれを担った。新聞、テレビ・・・等ほとんどのメデアに取り上げられ、いまや時の人。


仕事では毎日のように顔をあわせているのだが、このような形で彼女の報告を聞くのははじめてである。本当に勉強になった。以下、その報告である。

 
平成11年に農協は合併したのだが、そのとき、彼女は「広報ウーマン」でいわゆる農協便りの編集に当たっていた。このとき、感じたのが学校給食。地元の給食にどうして地元産が使われないのか疑問を感じた。

ファーストフードなど今はやりの何が添加されているのかわからない食品が子供達の口に入る・・・。そして、米も地元のあきたこまちが使われない・・・・。


 担当の栄養士に聞くと、それは予算、価格が折り合わないとのこと。規格に合わないもの、泥のついたものも給食の材料としては拒否された


命をつくる食が価格の問題なのか」と彼女は感じた。そこからが彼女の闘い。まずは、栄養士を説得することだと考えた。何回も地元の農産物を持参して、足を運んだ。栄養士さんにまず食べてもらうために、「おすそ分け」もずいぶんした。「賄賂」みたいなものであるが、それが栄養士さんと仲良くなりきっかけであった。


 その甲斐があって、地区内10数校あるうち、平成12年に3校が地元産野菜を学校給食に採用してくれた。その成果が、学校給食業界で話題になり、数年後はほとんどの学校で取り組んでくれた。


彼女いわく「若い栄養士さんは、そんなに抵抗なく取り組んでくれたが、年配の栄養士さんが一番の抵抗勢力であった。それに、その上の教育長さんが“予算だ、予算だ”と一番頑固だった。冷害で、米の値段が上がったときは、子供達にくず米でも食べさせてもかまわない、という発想で・・・」と



 このような彼女の活動があったので、ふれあい課に異動したときは、何とか合併のメリットをということでスローフードに取り組んで「地産地消」に本格的に取り組むことになる。


各地区の各グループを纏め上げ、グランママシスターズという伝統食の名人を任命したり、学校給食への食材搬入組合を立ち上げたり・・・・その中からそれらのひとつの拠点を作ろうと、「JA秋田やまもと食農実践会議」を組織して、それが、地産地消の拠点としての「JAンビニ」へと向かったのである。 


このような活動は、彼女の能力に起因することがほとんどであるが、彼女が言うように「最大の抵抗勢力は職員である」ということが、私にもよくわかる。私もこのような実感をしたことが何度もある。(昔のことだが・・・)


 それは、何が原因なのか・・・。JAとしてのコンセプトとして、彼女の仕事を支えてやるというスタンスがないのである。今のままでは、彼女の起業家精神を引き継ぐ職員はいない。彼女が倒れたら、それで終わり・・・・ということになりかねない。


経営者が、仕事の業績を評価し、それをJA全体のものにするという発想は見られない。彼女の毎日の仕事時間は労基法で言う「過労死基準」を大きく上回っている。いつ倒れたって不思議ではない。これを助けようとしない経営者に腹が立つのは私だけではあるまい。