<今、職場では・・・「不良債権回収業」5・・・>

野草のきりん草です。真っ黄色が目立ち

 <今、職場では・・・「不良債権回収業」5・・・>


職員も大変だ・・・と報告したが、確かに大変なのである。ただの事務屋に過ぎない職員がその事務的手続きをまじめに進めれば進めるほど、職員も大変になるし、それに増して取り立てられるほうがそれ以上に大変なのである。

そして、犠牲者が出た・・・。借金の取り立ての行為をすることを「追い込み」と業界用語でいう。その追い込みをしていた債務者が首を吊った・・・。明らかに「追い込み」の結果だった。それ以上の理由は見当たらなかったし、督促の締切日に首を吊ったのだから・・・。

それを聞いて課長は真っ青になった。「しかたない・・・」といいながらも相当精神的に参っているというような感じだった。それを組合長に報告したら、「まあ、しかたない・・・」とだけ。首を吊った人は組合長の知っている人でもある。私も参ってしまった。


仕事でやってきたことが結果的にこういうことになって・・・我々にはどうしようもないことである。このような社会が、その仕組みがそうさせたというしかない。秋田県の自殺率は全国トップというから・・・。

こういうときは、「鈍感力」である。農協の職員はいい意味でも悪い意味でも「鈍感力」がないと務まらない。ほとんどの職員はそう感じていると思う。そうでなければ、農協という職場では仕事はしていられない・・・といったほうが正確である。


この首吊りでいちばん参ったのは、地元の支店長だと思う。葬式では当然親類縁者があつまる。その席で酒に酔った勢いで「農協によって殺された・・・」と、のたまうとそれが風評となって流れていく。線香上げにも行けない。行ったら、遺族になんていわれるかわからない。この人とは支店長も含めて2回面談している。和解が出来そうになったが、保証人の問題でこじれて和解できず、裁判へとすすんだ。その最中の出来事である。

幸いというか、いってよいのかはわからないが、共済に入っていた。保険である。その保険で債権はほぼ回収できる。本人はそれを目当てに吊ったのかもしれない。我々の仕事は、債権の回収だから、人が死んでも債権が回収されればよい、ということである。人の死よりも債権の回収の方を目的化してしまう。非人間的といわれてもやむをえない。そういう仕事なのだから・・・。

だから、この仕事は普通の仕事ではない、といわれる。恐らく、死亡共済金で債権を回収することは、仕事として普通のことであるが、普通でなくなる可能性がある。兄弟等親戚縁者が黙っては、いまい。「厳しい交渉」が待っていると思う。「生かす殺す」の言葉が飛び交うことも予想される。こんな仕事も農協の業務としてあるということである。(了)