<お葬式③・・・>

大潟村の菜種とサクラが満開です

<お葬式③・・・>

当日の段取りは大体目処がついた。あとは葬儀屋が「死亡通知」を翌朝まで届けて、それを集落内と外にわけて配布するだけである。これは、翌朝の仕事で、もうひとつ葬儀見積もりという大きな課題があるのである。体協総会での酔いは完全に醒めていた。



翌朝、7時前にはK君宅に駆けつけ、集落外の死亡通知を担当した。本家、分家の間なので彼の親戚と私のそれとが重複している部分がかなりあるので、私が最適任なのである。先輩から一人での通知はだめだといわれ二人で行くことになった。シキタリらしい。そんなことをいちいち確認なんかしていられない。時間との戦いである。


それが終わって帰ってくると、K君と母親で葬儀の見積的なことの話し合いが行われていた。どんな祭壇を使うか、棺は? 写真は、鳴り物、飾り付け、お膳、引き出物等々それぞれ値段と相談しながら・・・・ということである。


どこの誰の葬儀でも同じだが、立派な葬儀はしたい。しかし、金がかかる。このジレンマである。そしてまた、「世間体」という魔物との戦いでもある。常に故人の兄弟姉妹など親類縁者のきつい視線がある。それを無視はできない。実際の財布を握っているのは母親ということもあり、母親はどちらかというと「節約派」K君は「立派な葬儀派」のような感じがした。



世間一般的には、この地域では葬式は香典でほぼまかなえるといわれている。結婚式は結構な額が「出超」となるらしい。いくら本家でも採算面には口を出せないし、また出さないのが原則である。自らがかぶる訳には行かないからである。


私にはまだ、父と母がいる。であるから本来は父と母が仕切るべき葬式なのだが、タイミングがよく父と母は故人が亡くなる前日、沖縄旅行に出かけた


身内の者がなくなったのなら、「すぐ帰れ」を呼び返すこともできるが、いくら本家とはいえ「身内」ではない。それに以前から「今度の葬式からはお前の代だ」と再三言われていた事実もある。しかし、一番難しいといわれる席順と葬列の順序、これだけは父でなければわからないことが多い。


家が本家でも分家の序列、孫分家の序列、それに掘り起こせば「兄弟分」というヤクザまがいの世界(?)の序列まで出てくる。そのほかにも年功や「格式」社会的な評価等々も加味しなければならない。それに兄弟が6人7人というのは普通であり腹違いの兄弟や兄弟が親子関係を形成したり・・・現代人にとっては「複雑怪奇」現象が少なくない。


祝い事であれば、「祝い席に免じて、お許しを・・・」となるが、悲しみ事にはどういうわけか「・・・に免じて」ということはない。それに一般的に「若い人」が対象になりにくい葬儀なので「改革」といってもそう簡単ではない。(葬儀の「改革」については後述する)つまり、「完璧」を求められる。これはプレッシャーである。相当大きなプレッシャーである
<つづく>