<お葬式①・・・・・>

ようやく、梅が咲き始めました

ブログをはじめてから、ちょうど一年。128回目のアップ。これが多いか少ないかはわからないが、よく続けてこれたと思う。内容的には、不十分なのはわかっている。文書的にもきちっと推敲していない。だけど、「気持ち」だけでもわかってくだされば幸いである。「常連客」一年間で倍になった。(とはいっても絶対数が少ないだけ)出来れば面白いか、面白くないかぐらいは、コメントに書いてもらえれば・・・とおもう。そうすれば、私も張り合いがあるというもの・・・。
今後もよろしく、お付き合いのほどお願いしたい

<お葬式①・・・・・>


 金曜日の夜8時、携帯が突然なった。地元の体育協会総会の終了後の懇親会の真っ最中。分家のK君からであった。「婆さんがいましがた亡くなった・・・」「今病院から、連れて戻る」というものであった。


 「危ない、近々だ・・・」とは聞いてそれなりに覚悟はしていたが、悲しむヒマなんかない。・・・というのは「本家」として、これからの一大儀式を仕切らなければならないという「義務」が大きなプレッシャーとしてのしかかってくるからである。



 この地区の「しきたり」的な意味合いから、「本家」として、この葬儀を取り仕切るのである。おまけにK君はまだ40歳前半、このような経験や知識はほとんどない。本家の私もそんなにあるわけではないが、それが言い訳になるような立場ではない。


 妻の車の中で家に着いたらまず最初に何をするか考える。やることはいっぱいある。30分くらいで遺体は運ばれてくる。その間にまずはその安置場所とつくらなければならない。安置場所となる座敷とその片付け、屏風に布団・・・しかし、故人の家族は皆、病院。


 次に葬儀屋への連絡。飾り物、葬儀日程などの段取りのために至急来てもらわなければならない。まずは、分家仲間に連絡して召集をかける。そこで、葬儀のスケジュールをきめる。火葬場の手配、お坊さんの手配・・・それから、集落内に「大病触れ」という死亡通知をだす・・・等々頭の中が混乱する



 そんなに酔ってなかったのが幸いして、帰宅して早速取り掛かる。まずは一人では何にもできないので、隣近所、そして分家仲間数人に協力を要請。10分足らずで集まった。さすが・・・。とりあえず、遺体安置場所の設定とその周辺の片付ける。


そうしているうちに遺体は到着した。夜中というのに協力者も7〜8人に増えていた。娘の嫁ぎ先のワゴン車で運ばれて、布団に包まれて・・・そしてそれを運び出す・・・なかなか遺体が包まれている布団に手をかけようとはしない。その気持ちはわかる。誰かが「早くしろ」と怒鳴った・・・皆しぶしぶ・・・といった感じで布団に手をかける。



 遺体はやせこけていた。長期の入院であるため当たり前といえば当たり前だが、遺体を見ることはそうたびたびはない。見たいとも思わない。