<今、職場では・・・異動異聞Ⅳ・・・>

大潟村熱帯植物園にて

<今、職場では・・・異動異聞Ⅳ・・・>


数年前、農機のベテラン職員の異動があった。管理職も含めて年配順に3名が、違う職種に異動になった。農機は恒常的な赤字のため、人が多い、という理由であった。明らかな「リストラ」と皆感じた。


 定年までもう一年の一番の年配者Mさんは、自宅から50分も通勤を強いられる遠隔地の購買の配達業務。配達が主だから土地勘が無ければならない。人もわからなければならない。商品名も覚えなければならない。


彼にとっては40年目の初めての仕事。彼は、労組に加入していた。早速、関係労組員を集め、「この異動はリストラで、適材適所の異動ではない。辞めさせるための異動なので、それに負けてはダメだ。やめて一番喜ぶのは経営者だから絶対やめるな」と励ました。彼は「職業訓練資格」とか各種の技術資格を持ち、農家組合員からはその腕は認められていた。


 彼も「このまま辞めたのでは私のプライドが許さない」といって頑張った。そして、無事定年退職を迎えた。定年後も農繁期には農家から声がかかり、「出張修理」に勤しんでいる。また、農機センターにも暇を見てアルバイトに来ている。


 Sさんは、当時50歳。就職以来ずっと農機技術員。それが突然、LAに異動辞令。困惑した。上記Mさんと同じ理由。彼は、子供は自立し、妻とは離婚して天外一人の独身。「辞めてしまえ・・・」と、退職を決意。

 しかし、私たちが許さなかった。彼を説得した。Mさんと同じように、これはリストラ異動であるということ、これを許せば経営者が一番喜ぶこと、そして、農家組合員が一番困ること・・・・。その結果彼は「辞めるのはいつでもできる」「頑張れるだけ頑張ってみる」と残ることにした。


 彼はLAだから、目標は初年度6億。達成可能な目標ではない。「そんなものは無視しろ」「あなたをここに異動したのは実績を上げさせることが目的ではない。辞めさせることが目的なんだから・・・」と励ました。ちょうど、その頃私もLAであったので彼の気持ちは十分わかった。


 団体交渉でも追及した。「長年の職員の培ったスキルを無視するような異動はおかしい」「成果主義を採るんだったら、その職員の成果を上げさせるような異動をすべきだ・・・」しかし、経営者は無視した。「人事権は経営側にある・・・」「訴えるなら訴えてみろ・・・」と。悔しい思いをした。


 我々ができることは、Mさん、Sさんを辞めさせないこと、とみんなで話合った。MさんもSさんも辞めなかった。SさんはLAで最低の成績であったが辞めなかった。そして、辞めないことがわかると、2年後元の職場に戻した。戻しざるを得なかったのだ。腹の中で「ザマア〜ミロ」とつぶやいた。

 これに対して、退職したのがHさんであった。彼は有能は技術者で管理職でもあった。彼もSさんと同じようにLAに異動になった。有能なだけプライドも高かった。しかし、話によると、投げやりになって辞令交付されてから何日もたたないで辞めたとのこと。

 その後、病気して長期入院。良くなって再就職したが、給料はパートの域であった。それから、友人の借金をかぶって自己破産・・・・。非労組員ということもあって労組としては対応できなかった。


 辞めなければ、入院しても有休がつかえた。給料だって手取りで30万前後はもらえた。人生が変わってしまった。本人のせいだけにはできない
経営者の冷酷さがしみじみと感じられた。


  当JAではこんなことがあっただけに、異動は「適材適所」であると考える職員は誰もいない。特殊といえば特殊かもしれないが、民間では日常茶判事とのこと。我がJAも民間並みになったかと驚かずにはいられないのだが、何も仕事らしい仕事をしない経営者の給料が一番高いという事実だけは納得できない。なんせ、成果主義を標榜しているんだから・・・。


 洗脳研修

 二人のLAが本店に呼ばれた。「あの二人が何故・・・」と思った。
 「何故、ふたりだったんだ? 実績が上がってないから・・・尻たたきか?」
 「まあ、実績が上がらないことも確かだが、研修に行けと・・・」
「研修? どんな?」
「4日間の営業研修・・・」
「さては地獄の研修か? 地獄の・・・だったら期間が短いな」
「共済連の連中が、厳しい研修だといっていた。洗脳研修だって・・・」

この世知辛い経営環境の中で一人当たり、12〜13万円かけるという。受けたからといって実績が上がるという補償は無い。人事のミスマッチなのか、それとも意図的なのか・・・。それぞれの得意な仕事を与えれば、2倍の能力を発揮する・・・。懲罰的な匂いもする

淡々と語っていた。「実績が上がらないから仕方ない」とも。「受けることによって、なんか新しいことひとつでも勉強になれば・・・」という彼らの前向きな姿勢だけが救いであった・・・。