<山形県高畠町の有機農業について>最終回

りんご園で挨拶する星寛治さんです

星寛治さんと対面


 最後に、この高畠町有機農業の「カリスマ」星寛治さんのことに触れないわけには行きません。


 私も、この研修の最後の日程で、星さんのりんご園にお邪魔しました。そこには、先に紹介した「まほろば農学校」の研修生、20代から60代まで10数名りんごの摘果作業をしていました。


 約一ヘクタールのこのりんご園は、すべて「ふじ」で30年前の「ふじ」が誕生するまえ、試交番号で呼ばれていたころからの老木でした。


 りんご園に踏み入れた最初の一歩で、布団の上に上がったような弾力、こんなにもやわらかいものなのか・・・と。これが、化学肥料や農薬を使わず、30年も毎年堆肥を投入して土づくりした土地なのかと感嘆しました。


 私たちの前でとつとつと語る星さんは、もう、70歳を超え、「この土の柔らかさを足の裏で実感して下されば・・・」と30年の流れを5分で、それもあっという間の5分で話され、さすが「カリスマ」と言われるだけのことはありました。

 消費者に送られたりんごが、お礼の手紙に化けて戻ってくる・・・・30年もの間、それが唯一の喜びで、モノを生産するという喜びを普通の人より多く味わってきた私は幸せ者です、と謙虚な姿勢が印象的でした。


 星さんのことは、有機農業に関心のある人なら、さまざまな書物で知っているかとは思いますが、私が一番感動したのは「北の農民、南の農民」という現代評論社から出ている、山下惣一さんとの往復書簡の本でした。


それ以前に「複合汚染」である程度の知識はあったんですが、「有機農業は勇気農業」と言う言葉に圧倒されました。それに、感化された私は、自分の20aの田んぼで、3年間実践しました。


 しかしながら、ものにはなりませんでした。基本が砂の当地では、地力で問題になりません。堆肥も10アール当たり5トン3年間入れたのですが、地力アップには全くなりませんでした。収穫した米もやせこけていて・・・・


 様々な原因はあろうかとは思いますが、はやり病のような「有機病」では、所詮勤まらないのだと思いました。.


<おわりに>

今回の高畠町での研修は、「農民運動」が従来の米価闘争をはじめとした政治的要求の運動から、地域づくりをメーンにした運動に変化して、それが、大きな成果を挙げていると言うこと。


それも行政の力が中心ではなく、「自立した農民」の自らの闘い、運動として形成されてきた、というところに大きな特徴があります。私自身も労組運動の中から、農民運動を20年近く見てきたわけですが、今までにない感動を覚えました。


 「農民運動」の終局的目標は、安全な食糧を供給することと、それを通じた地域づくりだと思います高畠町有機農業がそれに一つの答えを与えていると痛感しました。
関係者に心から感謝します。

<写真は、自らのりんご園でとつとつと語る星寛治さんです。>