<労組活動・・・大会・・・>

奥十二湖の紅葉です。

<労組活動・・・大会・・・>

 いよいよ、ボーナスの時期に近づいた。農協労でも12月のボーナス支給にむけてその闘いを盛り上げるために大会を開く。具体的には、大会に準ずる中央委員会を開催した。総勢50名近い中央委員が集まるのであるが士気が上がらない。


 本部の方針提起に一人も意見質問がない。いや、一人だけ、「だれも質問がないとつまらないから・・・」といって簡単な質問があった。それだけ・・・・。


 私も本部の役員であるが、そもそも、本部の委員長をはじめ書記局や執行部(五役)は大会もそうだが、このような中央委員会などを単なる「機関会議」、いわば「儀式」としか考えていないふしがある。要するに、何もなく、無事終われば結構という、事なかれ主義、官僚主義である。



 本部の指導部(五役)には、農協労を強化、活性化するという責任がある。それが、労組員の労働条件、待遇改善につながるからである。そのためには、学習や交流を活発にしなければならない。せっかくの50名近く集める集会をどうして「しゃんしゃん大会」にしてしまうのか。


 それぞれの支部では、それなりに頑張っている。なかなかうまくはいかないけど、それなりに成果を上げているところもある。そのような労組や仲間から、いろいろ発言してもらうという発想はないのか。もし意見がなかったら、出してもらう、そこいら辺の根回しというものはないのか・・・・


 そのような本部の姿勢には、農協労を強化、活性化しようという姿勢は見出さない。問題は一杯たくさんあるの出るが、それらを問題とせずに、口や議案書、書き物では問題だ、問題だ、といいながら(問題にしなければ、後日指摘されるから・・・)実際は、何も動かない。動こうともしない。私がいつもいっている「運動」ではなく「運営」に陥っている。


 労働組合運動が「冬の時代」を迎えている今日、どこでも同じような「風景」ではあろうが、農協の主人公が農家組合員であると同じように、労組の主人公が現場の労組員である。



その現場の苦しみや悩みに正面きって立ち向かっていかないと、「農協の経営も大変だから、チョットガマンしようや」ということになる。我慢できるうちはよい。皆ガマンできなくて辞めていく実態がある。そうだとしたら、何のための労組か、ということになる。


 私みたいな、口うるさい役員がもっといればとは思うが、いないという現状が、このような「運営」を許しているのかと思うと歯がゆくてしかたない