<農協問題・・・・農協改革(2)・・・>

 そして、一般市民は農業などでの農協との交流がほとんどないから、物売り推進などを例に挙げて「利益団体」とか、政治的には「圧力団体」とみなしている。

このような県民の意識状況の下で「県民に支持される農協」をどのようにして作るかをコンセプトにしなければならない。そうしなければ、解体攻撃には太刀打ちできないと思ったからである。

そして、私は発言の続きとして「公開で県民の意見を聞く場を持つべきではないか」と提言した。今回の農協改革は全中の指導の下で行われるのだと思うが、単協の組織討議というと、いつものパターンで、理事会のみで議論して取りまとめ、紙切れ一枚を中央会に上申報告するという簡単なものである。


先に述べた規制改革会議答申の問題点や今までの経過など「百姓のオヤジ」である理事たちには簡単な説明しかなく(また、説明してもほとんどわからない)それで意見を出させてまとめるのであるから、たかが知れたものである。だから、こういうやり方を変えなければならない。


そして、農家組合員だけじゃなくて一般県民からも批判的意見をもらい、懐の深さを見せなければならない、と感じたからである。そうでなければ農協の改革は出来ない。会場の雰囲気もわたしの意見に好意的であったが、この意見が生かされるかは何とも言えない。


農協改革とは、今にはじまたことではないが、その発議は農協の主人公である農家組合員からのものではない。それが根本的におかしい。「制度としての農協」といわれて久しいが、本来農協は組合員が主人公であるはずで、当然改革の主体も主人公でなければならない。


それが上からの指示で改革しなければならなくなってきている現状はまだ、「制度としての農協」という観念が「遺物」として残存していると考えざるを得ない。それに、具体的にどのように改革しなければならないのかという提案はほとんどない。中央会の廃止や全農の株式会社化など上部団体の改革のみで主人公である農家からの発議ではない。



近年、農協離れが激しくなってきて、「逃げる農家、追う農協」とか「農協栄えて農家滅ぶ」などといわれてきた。農協の物売り推進が激しくなってきて、職員にノルマを課して販売実績を競わせるという事業推進中心の経営形態になってきたといわれている。


そのため営農指導員などは年々減らされていて、農家の技術的要求に応えられないという技術レベルの低下が問題になってきた。それとともに、減反や補助事業の事務作業に埋没し、農家とのふれあいも少なくなってきた。我々が職員時代は「酒飲むのも仕事の内」といわれ、農家との酒席を断ることは論外だった。このように余裕が無くなってきた業務実態が、農家離れを起こし、農協が身近で無くなってきたと考えるのだが、そんなことは農協改革に関係のないような論議が進行している。



現在の農協職員の中で農家組合員に対して「うちの農協はいい農協だ」と自慢できる職員はいるだろうか。職員の新規採用する時、就職受験者やその親は必ずと言っていいほど、近くにいる職員に受験農協の話を聞くといわれている。私も聞かれたことはあった。しかし、「やめておけ、農協は大変だよ。」と応えるのが通常であった。そのためか、合格しても辞退する受験者が多いと聞く。
写真は、この涼しさに誘われて大発生した夏茸(しいたけ)です。